【三國志全般】

三國志と三国志演義

 皆さんは三国志といってもとても大きな幅だというのはご存知でしょうか?一纏めに言えば、後漢末から三国時代にかけての物語といったところでしょうか?
 では三国志とは何でしょうか?現代において、三国志というものは、三國志と三國志演義(もしくは三國演義)とに分類されます。前者は歴史書であり、後者は物語(平家物語のようなもの)です。
 ではまず前者から見ていきましょう。

 三國志は現代では、普通の三国志と区別するために、正史・三國志と呼ばれることが多いです。ということで、ここでも三国志と分けるために、正史・三國志と呼ぶことにします。
 正史・三國志は晉(三国時代の次の王朝)の学者である、陳寿(字:承祚)が編纂しました。陳寿はもともと三国の一つである蜀の生まれで、蜀滅亡後、晉の学者として、魏、呉、蜀それぞれの人物を紀伝体で色々な資料をもとに作り、それを三編合わせて、三國志としました。
 しかし、陳寿が正史・三國志を編んでいるときは、魏を引き継いだ晉であるわけであって、魏を正統な王朝として、また魏の人物の本当の一面(実は悪かったなど)が書けなかったのです。
 そして、晉の後に五胡十六国時代という、群雄割拠の時代があり、その時代の学者であった、裴松之(字:世期)は、陳寿が編んだ正史・三國志以外の三国時代に登場する人物のことについて書いた数々の書物を集め、それを註として、付け加えました。これにより、例えば曹操は、幼名が、阿瞞や吉利であったことなど、色々と新たな発見が生まれました。
 そしてこれが、現代まで伝わり、そして正史・三國志と言われています。

 後者の三國志演義は、正史ができてから凡そ1000年後、元末期から明代にかけて、湖海散人と称した、羅本(字:貫中)が、正史を基準としながらも、蜀を正当化とした、三國演義を書き上げました。。これは、物語風に、全120話で構成され、七割が事実で残りの三割が虚であるとされた作品であり、それが現代まで伝わり、広まっている作品なのです。

 

◇三國志の三国とは・・・?

 上の文章では、魏、そして蜀という国が登場しました。それが三国のうちの二つです。そしてもう一つが呉です。つまり三國志の三国とは、魏、蜀、呉のことなんです。
 ではそれぞれどういう国なんでしょうか?一つ一つ見ていきたいと思います。

 まず魏は、後漢王朝の後を継ぎ成立した王朝です。後を継いだという表現は正史を基準とした考え方で、演義では簒奪したといったほうが正しいかもしれません。とりあえず、後漢王朝から魏王朝へ政権が委ねられたのです。
 その魏は日本では、卑弥呼と関連付けて有名ですね。邪馬台国の女王卑弥呼は、中国に使者を出し、その中国の国が魏であり、この邪馬台国について書かれている、魏志の倭人伝の魏は三国の魏なんです。
 その魏の建国者は曹丕(そうひ)という人物。よく、曹操(そうそう)と思われる人もけっこういますが、曹操は曹丕の父であって、魏王朝の体制を作りましたが、皇帝にならずに死亡し、息子の曹丕が帝位についているのです。

 蜀は、上で書いたように演義において正統な王朝です。ではなぜ演義では正統な王朝なのか?
 蜀の建国者である劉備(りゅうび)は後漢王朝の前の前漢王朝(この二つを合わせて漢王朝)の皇帝の息子の子孫に当たり、つまり皇帝になる資格を有していたのです。演義の中でもそのことが言及されており、いわば魏の正統を反対するために描かれたような感じになっています。
 蜀は有名な武将が多く、劉備を始めとして、関羽(かんう)や張飛(ちょうひ)、諸葛孔明(しょかつこうめい)など、我々にも馴染みが深いような名前が登場します。

 呉は、上の文章で言えばあまり無関係のように思えますが、水軍に優れた大国です。有名な赤壁の戦いで勝利したのはこの国ですし、晩年は蜀と同盟を結び、魏に対抗しています。
 呉では主君が次々と変わり、また総司令官的な役職の将も次々と死亡しているため、変革が多いです。
 呉で有名な武将は、周瑜(しゅうゆ)などがいます。周瑜は赤壁の戦いの際、総司令官に任命され、見事曹操軍の大軍を追い払っています。


◇三国志の話の概要

 舞台は今から1800年以上前の中国。日本では邪馬台国の時代です。その当時、中国の王朝は漢(後漢)といい、宦官や外戚と呼ばれる権力者たちの争いにより疲弊していました。
 また、腐敗した政治が流行し、権力者たちに賄賂を払って、地位を獲得するものたちが現れ、そのせいで民衆たちの生活は困窮しました。
 そのような中、張角を首領とする太平道と称する宗教結社が挙兵します。それに対抗するため、漢王朝は軍を派遣し、黄巾党の乱を鎮圧しますが、このとき活躍したのが、曹操や劉備、孫堅(孫権の父)たちです。

これ以降は今後更新していきます。
 

 


◇最終的な統一国は?

 ではその三国を制した国とは一体どこなんでしょう?
 歴史の教科書などで中国の年表が書かれていて、大体その当時の王朝の名前が書いてあります。それを見てみると

 (夏)→殷(商)→周→春秋戦国→秦→前漢→新→後漢→三国→晉...

 三国の後は、晉(しん)と書いています!魏でも呉でも、蜀でもなく、晉なのです。では三国の後に晉に至った経緯を紹介しましょう。

 魏、呉、蜀という態勢が成立してから四十年余り経ち、どの国も有能な配下が死亡し、国力は疲弊していました。とくに魏では、司馬懿(しばい)という人物(諸葛亮のライバル)が実権を握って以来、司馬氏の権力がかなり強かったのです。
 また、蜀や呉でもかつてほどの国力はなく、三国鼎立の状況を守るのが精一杯で、また、蜀では主君であった劉禅(りゅうぜん)は、宦官や佞臣のいうことを信じ、呉では孫皓(そんこう)が暴政を行い、両国ともに忠義の臣の諫言は届きませんでした。
 そして、こうしている間に魏はまず蜀討伐に乗り出します。抵抗がありながらも、蜀の首都を陥落させ、蜀は滅亡します。
 今度は呉を攻めようとしたとき、乱が起こります。あの司馬氏で、司馬懿の孫に当たる、司馬炎(しばえん)が魏の皇帝を引き摺り下ろし、自らが帝位につき、国号を晉と改めます。これによって魏が滅びたのです。
 そしてその晉は呉を討伐。都を陥落させ、呉を滅ぼし、晉が天下を平定するのです。


◇晉の統一以降は・・?

 晉は280年に中国を統一します。その後は、晉の治世が続いたのかといえば、そうではありませんでした。
 晉は豪族勢力が強く、また、四代目皇帝の愚政により、外戚が内乱を起こし、これに乗じて豪族たちが反乱を起こします(八王の乱)。
 また、この乱に乗じて北方異民族が中国に侵入し、そのうち劉淵(りゅうえん)に率いられた匈奴(きょうど)が、漢後に前趙を建国し、勢いに乗じて洛陽、長安を降伏させ、晉は崩壊します(永嘉の乱)。わずか36年の天下でした。
 その後、晉の王族であった司馬睿が、呉の都であった建業に移り、改めて晉を再興します(東晋)。
 この中、三國志より激しい群雄割拠の時代を経て、約200年の混乱時代の後、隋が中国を統一します。

 

〔正史三国志に関して〕

概要

 正史三国志は、上でも書いたことと重複しますが、陳寿が編纂した書物で、紀伝体で書かれています。
 魏を正統王朝とし、後漢末から、280年の晉の統一までに活躍した人物が書かれていて、三国時代のことを記している重要な史料です。
 正史三国志の構成は、「魏志」計30巻、「蜀志」計15巻、「呉志」計20巻で、魏を正統王朝としていることから、「魏志」のうちの四巻は列伝ではなく、本紀です。
 編纂した陳寿はもともと蜀の人であり、彼が晉に降伏した後編纂しましたが、普通であれば正統王朝である魏からの視点で蜀、呉を描くのが普通であったのが、彼は魏、蜀、呉をそれぞれ分けて三国志としています。
 ただ、やはり彼はもともと蜀の忠臣であったことから、歴史では正統王朝ではない蜀を、温情的に書き上げている一面もあり、その代表として、蜀の参謀であった楊戯という人物が書いた『季漢輔臣賛』という蜀の優れた人物(一部例外を除く)を、陳寿の解説付きで全文掲載し、これは「蜀志」を補うとともに、彼の故郷への思いを託したものである、とされています。

 だが、彼の評価にはプラスとマイナスが両立しています。
 プラスの評価としては、この正史・三国志を見た司空であった張華はこれを褒めて「晉書もこれに続くべきだ」と褒め称えており、また、この当時魏書を書いていた人物は、正史・三国志を読んで、自分の書いていた魏書を捨てた、という逸話も残っています。
 反対のマイナスの評価としては、正史三国志は彼一人で編纂したということで、彼の思惑により、歴史が歪曲されていると言われています。これは、正史三国志に限ることではなく、一人で書き上げられた史書は、同じことが言えます(史記が代表的)。
 また、現代でも三國志演義などで代表的ないわゆる、蜀を正統とする理論が、朱子学の間で生まれ、魏を正統王朝とした陳寿は非難され、また、その一方で儒者が朱子学に対抗するため、陳寿を弁護していた、ということもあります。
 ただ、マイナスの評価として、一番大きいのが、彼の私怨が入っていたのではないか、ということです。
 最初のマイナス評価とある意味同じですが、その例として最たるものが、諸葛亮私怨説です。
 彼の父であったとされる陳式は、諸葛亮の北伐の際従軍し、諸葛亮の命令を破って大敗したことから、諸葛亮によって斬首されています。また、彼自身も彼の息子であった諸葛瞻から恨まれており、そのことから、陳寿は諸葛亮の評価をあまりよくしていない、ということです。
 ただ、これは後世伝えられたことなので、信憑性は乏しいですが、どちらにしろ、晉は魏を継いだ王朝であることから、魏を批判することは晉を批判するということになり、蜀の評価を抑えた、という評価もできます。


◇裴松之註に関して

 さて、陳寿により正史三国志が書かれたのは、晉が統一した280年から、彼の死亡した297年の間、ということになります。
 つまりは、つい最近までの出来事を纏めた、ということになり、やはり事実が欠如していたり、正史・三国志に人物として記載されていながら、正史三国志が編纂されたときにはまだ生きていた人物がいたりして、列伝としては不足していた事項が数多くありました。
 ということで宋(南北朝時代)の文帝(劉義隆)は、裴松之という人物に、正史三国志に註を付けるよう命じました。裴松之は、三国時代に書かれた数々の書物を参考に、それぞれ人物ごとに裴松之註として、補足をつけました。その中には、事実とは思われないような事柄まで載せ、また、魏の司馬炎による曹奐の帝位禅譲についてうやむやにしていた陳寿の記述なども公正な歴史事実として書き上げ、また、未完成であった部分も補い、それが、今現代まで残る正史三国志として残っています。

 裴松之註として参考にした文献は、以前一部だけ紹介していましたが、また、今度紹介する予定です。

 で、裴松之註の具体的な内容は、本を読んだらすぐにわかるのですが、例えば孫盛の書いた異同雑語で、曹操は人物鑑定士として名高い許劭(きょしょう)から「君は治世では能臣だが、乱世では奸雄だ」と言われたことが書かれており、それが、註として載っているんです。
 この裴松之註を参考にして書かれたのが、三國志演義なんです。

 ただ、裴松之が註として参考にした文献の中には、信憑性の低いものもあるんで、裴松之註が正しいとは限りません。


 

 

 

〔三國志演義に関して〕

概要

 また、これも上の部分と重複することもありますが、まぁお気になさらずに。
 三國志演義(中国では三國演義、もしくは三国志通俗演義)は、元末から明初期にかけて活躍した羅貫中(姓は羅、名は本、字は貫中なので、正式には羅本が正しいです)が書いたとされる物語です。
 羅貫中は、それまでにあった、講談師により言い伝えられていた三国時代の話と、正史三国志の話を融合させました。
 それが、一般には三國志演義と呼ばれており、今までにあった「三国志平話」などとは違った、完璧な物語として成立しました。
 三國志演義は、これまでの流れに則り、蜀を正統王朝として見ていて、前半の主人公は劉備で、後半の主人公は諸葛亮となっていて、これは今までの講談師の話や、それまでにあった三国志の物語と同じなのですが、三國志演義では、蜀以外の、魏、呉の歴史もしっかりとかかれ、また、諸葛亮死後にいたっては、史実と大して変わらない物語が展開し、それまであった三国志の物語の集大成ともいえるのです。
 しかし、三國志演義は物語であり、また、蜀を正統王朝としているため、史実とは異なる箇所が多々あります。よく、三國志演義の七割は史実で、三割は虚実と言われ、三割は演義オリジナルなんです。


◇演義と正史の違い

 では、正史三国志(以下、正史)と三國志演義(以下、演義)の大まかな違いについて述べてみたいと思います(箇条書きで)

・正史では魏が正統王朝であるが、演義では蜀が正統王朝
 →これまでで述べたことなので省略します。
演義にしか登場しない人物
 →代表的な例として、貂蝉や周倉、李儒(李儒は後漢書には出ています)など
・正史にしか登場しない人物
 →例えば戯志才、陳到など
・演義にしか登場しない出来事など
 →劉備、関羽、張飛による桃園の誓いなど
・正史にしか登場しない出来事など
 →魏諷の乱や、馬超の反乱の際の馬騰の所在など
・正史と演義での武将の扱いの違い
 →馬超の死亡した年の違いや、劉馥の死因など
・名前の変更
 →蜀の将呉懿の名である懿が晉の宣皇帝司馬懿と同じであることから、正史で呉壱と書かれ、演義では呉懿で書かれているなど

 他にも多々あると思いますが、今思うつくのは、これぐらいだと思います。
 



 

 

 

 

お勧めの本

 三国志初心者の方が読まれるのに相応しいかなっていう本を集めてみました。

 ▼漫画

タイトル:三国志
作者:横山光輝

三国志の漫画として、最も知られたものです。
吉川英治の三国志を背景として、文庫本で全30巻、単行本で60巻、執筆年月15年という超大作です。
小説で三国志を読むのはヤダとか、三国志の内容をわかりやすく知りたい、と思う方は、読んでみてはいかがでしょうか?

 

蒼天航路 1タイトル:蒼天航路
作者:李学仁 王欣太

拙サイトでも、色々と話題に上ってくる三国志の漫画です。
今までの三国志とは違う視点から見た三国志で、去年連載終了したばっかりです。
この作品の主人公は、曹操ですが、それ以外の人物の魅力も十分です。
もし、正史を読みたい、と思う前にいっぺん読んでみると、正史をますます面白く感じれると思います。


三国志 1タイトル:三国志
作者:寺島優 李志清

三国志を読みたいけど、横山光輝の三国志みたいに量の多いのはいやだけど、内容も詳しく知りたい、とおもうかたはこれ。
文庫本で全13巻なので、横光三国志よりは大分安くつきますし、大体の内容も分かります。
ただ、やはり劉備死後の内容が大まかに削除されているのが一部難点ですね。



 ▼小説

三国志 1タイトル:三国志
作者:吉川英治

三国志を日本に普及させたといっても過言ではない、吉川英治氏の書いた三国志。
内容的には、大変分かりやすいですけど、漢字とか、文章表現が一部難しいかなって箇所があります。
でも、三国志の内容を理解するにはもってこいです。

 

三国志 1の巻タイトル:三国志
作者:北方謙三

現代の三国志の小説の中でも、人気がある作品です。
僕自身読んでないんで、お勧めとか、なんか違うような気がしますけど、レビューとか読んでいますと、けっこう面白そう+分かりやすそうです。

 


興亡三国志 1タイトル:興亡三国志
作者:三好徹

これは僕が初めて読んだ、三国志の長編小説です。
主人公を曹操として、正史っぽいような気もしますが、魏、呉、蜀を満遍なく書き上げ、すごく楽しんで読むことが出来ました。
ただ、残念なのは、全5巻なんですが、やはり劉備死後がすごい駆け足で終わってしまっています。



三国演義 第1巻タイトル:三国演義
作者:安納務

作者独特の視点を織り交ぜた、三國志演義です。
構成は三國志演義とほとんど同じですが、登場人物たちがすごい生き生きとしています。
これでは、諸葛亮死後もちゃんと描かれているので、完全に理解したいという方にはお勧めです。
ただし、ちょっと読みにくいという難点もあります。